お墓を作りました。

不思議な力で私たちを救ってくれる絶対的な存在がいるかいないかで、前者が大乗仏教であり、後者が釈迦の教えです。大乗仏教は、キリスト教イスラム教に近い。釈迦の仏教はこの世には、我々を救ってくれる絶対者はいないという前提の上に成り立っている。誰も救ってくれないこの世界で、生をまっとうするには自分の力で自分を向上させていくしかないというのが基本姿勢である。別の人は、仏教とはお釈迦さまに対する自分の信頼であるといっています。このことを知っていて、アメリカのオバマ大統領は、自らの大統領就任演説で、世界の宗教を羅列した時、仏教を入れていないのはその事をしって居たのではないかと岸井成格さんは勘ぐっています。面白いお話です。
仏教では、万物が流転し、自然から生まれたものは、自然に帰るといわれています。お墓は、亡くなった人を供養する、人が亡くなって魂の宿る白骨を大自然の大地に帰す大切な役割りを果たします。
2年ほど前に、住んで居る所から10分位歩いた小高い丘の上に分譲墓地を購入いたしました。インド原産の墓石を購入し、墓石の建立スタイルを決め、墓標文字も【感謝】という言葉を選びました。私の両親のお墓は鳥取県米子市にあり、墓石前方に美しい伯耆大山がみえる場所です。
おとうさんとおかあさん、二人で手を繋いで《千の風になって》こちらにおでかけになってください。私の子どもも、この近くに住んでいます。生前まだうまれていない孫達も一緒にいますから、お逢いになってください。いずれ年をとった方から、現世と別れを告げる時がきます。既にお墓の準備がされていますから何も慌てる必要がありません。孫達がお墓にお参りし、手を合わせ、おじいちやんとおばあちゃんの悪口をいったとしても誰も咎めません。
この世に生まれたことが100%ですから、亡くなるまでに100%以上の数字になっている生きた人生の記録があります。
その人の記録を思い返すには、時々お墓においでになってください。もしかしたら、鳥取県米子の方に出かけて留守にしているかもしれません。
千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹き渡って、飛んでいる最中かもしれません。