名古屋のルーツをたどる旅

深み行く秋となり、からりと晴れ渡りどこ迄も高い空の下、恒例の大学の同窓会が名古屋で開かれたので、その概況をお伝えします。
大学に入ったとき、マンモス大学の道案内としてクラス編成がおこなわれ、そのクラスがいい幹事に恵まれ、長きに渡り交流をつづけていた。今回の一泊をともなう旅の集いは名古屋で開催することとなった。
名古屋在住のエリート銀行マンであったS君が今回の旅の運営企画をほとんど準備していただき、同じ地域にすむ幹事役として私も紹介されたが、恥ずかしかった。
第一日目は名古屋駅に参集した同窓生を小型バスにのせ、熱田の森にある「七里の渡し」からスタートすることになる。
なぜ名古屋のルーツのスタートが「七里の渡し」からなのかをS君からお聞きし、丁度昼時なので近くの蓬莱軒で名古屋名物「ひつまぶし」をたべることになった。
「ひつまぶし」とはうなぎの蒲焼きを細かく刻んでおひつにまぶした料理で、一杯めは普通のうな丼として、二杯目は薬味をくわえて、三杯めはお茶づけとして三様の味が楽しめことが特徴です。
食後伊勢神宮についで権威のある、熱田大神を御祭神とする熱田神宮に参拝致します。
お参りは「二拝二拍手一拝」が基本でそれぞれの思いを胸に作法通り行ないます。
参拝した後バスは名古屋市内を走り抜け、トヨタ自動車が自動車を学び、人と車のかかわりをときあかすためつくった「トヨタ博物館」に向かいます。
トヨタ博物館」は自動車文化、技術の変遷をわからせるため世界中の代表的な車を集めて、展示してあります。
トヨタ自動車は世界に通用する車をつくることで、愛知県の代表的なもの作りの拠点であり、名古屋ルーツの近未来にに向けての拠り所といえます。
宿は、日本ライン河畔にある名鉄犬山ホテルで、敷地内に国宝茶室如庵の遺跡があることで名が知れ渡っている。
ただ、ホテルとしては、昔のよき時代の宴会主体の造りで、訪れる人に快適な空間を提供してるいるとは思えない。
私は変形股関節炎であぐらを書いて座ることが出ないので、お座敷での宴会はご遠慮させていただく事が多く、又人生の半分以上ベットで生活しているため、和室ぎらいになってしまいました。
夜の帳の幕があいて、各々が自己紹介をしたら、にぎやかなおしやべりがとどめなくつづき、アルコールはビールから日本酒、焼酎迄種類を問わず飲み放題との幹事裁きであるが若い時のように飲めないし飲もうとは思わない。
ただいつも思うが、こうやって眼の逢った人と何かをお話するのだが、殆どその話を覚えていない。しかし仕事の世界ではないので、話が素通りしていっても、だれにもとがめられないことはなく、わりと横着な気持ちで過ごしているようです。
次の日も小春日和で冬に近い、つかの間の秋を感じさせる一日で、終日陽光がさんざんと降り注ぎ、快適でした。
朝食後早速「如庵」をみせていただいたが、どうもこの手の茶室は中がせまく、この中に正座し膝を突き合わせて「権力の店開き」としての茶室接待にどのような意味があるのか理解に苦しみます。
二日目午前中の最大イベントは国宝四城の一つで木曽川の南岸にそそり立つ犬山城天守閣にのぼることだ。
城内の階段はかなりの急勾配で、70歳以上の年寄りには危険な道行きだが、天守閣最上階の絶景は、戦国時代の武将が何故お城を築いて殿様になりたかったかは、よくわかる。
しかし最上階の赤い絨毯は場末のキャバレーであるまいし、品位にかけます。
犬山城で一汗かいてバスで連れていかれた先は大男茎形(おおおわせがた)を奉納する田県神社で、おおらかな気持ちにならないと、唖然とするが[恋愛][子宝][安産]の神様とすると納得がいきます。さてこの旅の終わりは「博物館 明治村」だ。
名古屋に30年以上いても訪れた事はなかったが、昼前にはいって、4時過ぎ迄歩きましたので、ろくな観光地がない愛知県で自信を持っておすすめの観光スポットであると言い切ることができます。
まず明治時代の洋食屋の佇まいの「浪漫亭」で昼食をとるが、オムレツが有名で女性客が好むようだ。
アプローチは正門からではなく北門から入り逆走して5丁目から1丁目にいくコースを選び、昔の帝国ホテル中央玄関からスタートする。
そぞろ歩き4丁目の手前で私が面白いと思ったのは「明治村簡易郵便局」で、手紙をお預かりし、10年後に明治村から本人へ発送する「はあとふるレタ−」という仕組みです。
しかし私のような老人ではこの後10年を考えたら、ちょっと積極的にレタ−を書こうとは思わなかった。
いろいろと明治時代の建造物が集められているので、かなり早く歩いても1時間で閲覧することは難しい。5丁目から1丁目を歩いてやはり私の「お気に入り」は白亜の教会「聖サビエル天主堂」だ。近世初頭頃日本に渡来し、キリスト教の伝来に努めた聖フランシスコザビエルを記念して、明治23年に京都の地に献堂された教会堂で、日本人の手で造られたものである。
中は外光を通して美しい陰影をみせるステンドグラスの窓があり、オオアケ−ド、鋼板の聖画、説教壇、告解室など見るべきものが多い。
丁度私達が覗いてみたら女性ソプラノ歌手によるコンサ−トが開催されていた。ソプラノの高い澄み切った音色が荘厳な雰囲気の建物の隅々まで響き渡っています。讃美歌を歌っていたが、自分の中学時代にきいたものもあり、心穏やかに余韻を愉しむ事が出来ます。
この明治村のクラス会は、忘れっぽい老人でも心に残るでしょう。この旅を立案した幹事のS君と名古屋に集まった同窓の皆さんに感謝して、明治村の話は終わりと致しましよう。