世界水準のエンタ−テイメント作家・服部真澄

まず、処女作にして、直木賞候補となった『龍の契り』からすすめてみよう。1997年の香港返還を題材に、永い眠りから撹醒するかのように突如浮上した返還に関する謎の密約がこのサスペンスのテ−マ−である。
全焼したロンドンのスタジオから始まって、中国系賛成の元英国在住のアメリカ人女優、日本の大使館員、日系電機メ−カ−社長、中国要人など多彩な人物が登場してくる。
サッチャ首相時代に、イギリスで保管していた密約書が、何故か他人の手の渡り、有為曲折の得て中国側の手に戻ることになりますが、そこ至るまで色々なエピソ−トが密約書の行方とからませながら、充分配慮のもとに挿入され、この壮大なすぐれたエンタ−テイメント・国際謀略作品は終ります。
文芸評論家関口さんに『10年に1度の逸材』といわせ、高村薫以来の圧倒的な筆力と構成力、みずみずしいほどの感性と知識は、たちまち読者をとりこにしてしまい、この作品を読み終わるといつかもう一度読み返したいと要求が必然と湧いてきます。
つぎに真澄さんが発表したのは『鷲の奢り』で、国に依って異なる特許制度はそれぞれ極めて複雑であるが、その相違を国際的な熾烈な技術戦争のサスペンスに仕上げた着想が新鮮で、特に『サプリマン特許』といわれる、出願から数十年もたった後、突然浮上して、特許を行使されるアメリカの特許制度がこの物語成立の法的根拠となっています。完璧なセキリュリティシステムの侵入、新型フラットデイプレ(液晶)の開発などこの作品が書かれた1996年では近未来的な技術情報を随所に駆使しており、その意味では第1級の先端技術サスペンスである。
読み終わって、少し、自分が他人より偉くなったような錯覚を感じる程、濃密に、からみあう様々な知識が糸の綾のようにからみあい、『すごい』としか言いようのない作品だ。
ちょっと複雑すぎるので、一読したら頭の整理が必要で、知識を自分の頭のポケッに順序よくならび変えておくことになる。
そして、最後に『デイール・メイカー』を紹介しよう。デズニィ−を連想させる『ハリス・ブラザ−ズ』と『マイクロソフト』を連想させるコンピュタ−ソフトのハイテク企業の争いを書いているが、そこには企業買収、著作権の法的関係、相続、人工授精などが出てくる。作者は物語の進行役として、物欲が強く、向上心の旺盛な女性重役シュリルを登場させます。この女性重役を中心に展開するので、女性読者もはいりやすい文章構成になっています。
あの俳優の児玉清が『世界に通用するエンタ−テイメント作家が漸く日本にも誕生した、翻訳ミステリ−の面白さを凌駕する服部真澄作品を英訳して世界市場に送り出したいと言わせるほど、日本の作家でこれ程アメリカの日常と空気を淡々と書ける作家はあまりいない。この三作品こそ、服部真澄さんの代表作で、翻訳ミステリ−の読みづらさもなく、作品の登場人物に感情移入が誰でもできます。そして新しい知識を習得し、読書の醍醐味を味わうことになります。
この三作品を読んだのはかなり前なので、この日誌を書くため、等身大の服部さんを求めて『骨董市で家を買う』を読んでみることにする。服部さんのご主人が真澄氏を観察して語るという設定なので、どこまでが等身大の真澄さんなのかが分かりませんでした。ただ福井県の民家を東京に持ってきて、自分の家にすると話ですから、真澄さんがとてつもないエネルギ−の持ち主だということはわかりました。

今真澄さんは50歳、さらに原点の三作品にたち帰り、新しい作品を書いていただきたいとねがっています。

母の生と死

母の口から自分の生まれた経緯を語っていただくことにする。3歳の時母を亡くした。私は浦富(鳥取県)の当時酒業で栄えた家の長女として生まれた。母はとても綺麗で美しい母で在ったと聞く。祖父、祖母、お母様の限りなき愛情の中で生まれた私の人生の出発、それは幸福そのものだったと思う。私は三歳の時母の姉のもとへ養女にいった。母を亡くした孫への幸福を願う祖父、祖母、それと周囲の人の真心であったと思う。只一人の母を失った不幸は一生つぐ得ないものとして後々までつきまといます。その母は順調に成長し、24歳の時父と結婚し、すぐさま満州に渡ったのです。でも少しも内地を遠く離れて寂しいといった気持ちになれなかった。本当に主人がたのましく一緒にいれば決して心配することなく生きていける事と思う。赤い夕日の満州というけれど、広々とした目の前に広がる大草原はほんとに美しかった。母は大陸へ渡ったことに対し何一つ後悔していなく洋々としています。
さらに年月を重ねて昭和64年に昭和天皇崩御を受け『平成』へと改元した前の年に72歳で亡くなることになる。母は昭和63年1月にがん細胞におかされたいた胆嚢を摘出したが、既に胃に転移し、余命半年と宣言されていた。母はこの時点では自分の病名に対しては末期がん迄は考えてなかったようで、診察していただいていた鳥取医大の医師に怒っている。私の場合、転移のことを頭に入れることはできたわけだし、長くて5年生きると思えば、それを可能とする肝臓でいいのですから、そのあたりを私に話してくれなかった。霧の中にかくされたことを私は知りたいのです。温熱療法を何回も受けて、母は長引く入院生活にいやになっていました。一体どういうことなんでしょうか。そんなに長く続けるなら、1週間に2度やる必要はないと思います。そしたら先生はおがままは許さないとのこと、自分勝手なことは棚に上げて、私はこのままでいいから退院させてください。その前の年にお腹を突き上げるような痛みがあった時に病院にいけば早期で助かったことははっきりしていて医者もよく痛みに耐えられたと言っていた。母を父亡き後米子に一人で置いていたのは間違いでした。入院も長く退院したのは4月も終わりでした。母はその後名古屋に来ていただいて長男家族と一緒にすごしたが、一人でやっていた人が他人任せの日常ですと暇をもてあまし、こちらも本当のことがいえなく、とうとうお盆前に帰ってしまいました。

そのあたりの心境を母は得意の連詩でつぶやいています。人形と きそうがごとく 薔薇の花 あの人の 墓もうでと ふと 思う 半年も 見つめ暮らした 医大ゆか さとらんと 思えどみちの こと多し わが子と 過ぎし日よ 今一度 手術し 4ケ月なる 今日の日よ 息子の 手を握りて 頬をつたう(5月22日)落日の 日も近づき 心さわぐ 指おりて かぞえどむなし 残る今 生あれば 死もあるとぞ いいきかせる 生残りて 冬を迎えし 日を思う 年とりて 故郷こいし とぞ思う 幸多くあたえたもう 父と母 幸多き 人生なりと 手を遇わす(12月18日)母はよき夫、よき子ども、よき運命と自分の心を穏やかにし、あの人(夫)は流れのままに、きれいに、仏になられましたと13年前に死去した父のことを思っていたのです。山陰地方独特の曇天とした雨がそぼ降る夜に、肺まで転移し苦しがってタンをのどにつまらせ12月21日深夜亡くなりました。合掌 おかあさん、成仏されて父と一緒に居られる思う。貴男の息子は、貴女のおなくりになられた年近くまで生きていて、それなりの人生を過ごしてきましたことをご報告致します。 

国際的な謀略・冒険小説なら笹本稜平

笹本稜平さんは、日本という枠に拘らず国際的な舞台で壮大なスケ−ルの作品を書く今年59歳の小説家です。日本の小説は、そのスタ−トからし私小説的なモチ−フが多く、内向的で、じめじめした怨念のスタイルが主流で今日まで続いている。2000年初頭でデビュ−した笹本さんは、物語の構成力が抜群であり、国際的な人物設定が実にうまい。
40年近い船員生活の終端を飾る航海としてパシフィックロ−ズ(太平洋の薔薇)に乗り込んだ伝説の名船長柚木静一郎が物語の主人公で、スマトラから横浜港迄の帰路にハイジヤックされる所からこの上下2巻の壮大な話が出発する。究極の生物兵器(ナタ−シャB)がイルク−ツクから巧みな操作と段取りで盗み出されたため、その捜査を担当するロシア人が現れ、又生物兵器の生みの親であり、余命がないテロリストが日本人の主治医ともに豪華客船で船旅をしている状況が物語の伏線として描かれる。静一郎の一人娘『夏海』が海上保安庁からクアルンプ−ルの国際海事局海賊センタ−に出向中で父のハイジヤックに絡んでくる、この彼女が物語全体の進行役で、テロを阻止せんとする父柚木を懸命に捜査する形で読者をぐんぐんと引きずり込んでいく。
この人の作品は『天空の回廊』でもそうだが、かならず超人的な体力と知力に優れ、人間味豊かな日本人が登場し、我々日本人の読者の感受性をくすぐってくれる。十分に計画したテロリストが圧倒的に強く、柚木のぼろ船『太平洋の薔薇』に積み込まれたナ−タシャも金属容器から開けられ、乗組員が細菌におかされ発病していく様子が描かれたあたりから、一転してテロリストの敗色濃厚となる。又この物語の最終章にロシア海軍がこのボロ船に対し原潜の艦長が海の男のかけがえのない友情話がでてくる。実際の国際社会ではありえないだろうが、読者はここで、張り詰めた気持ちに一息入れることが出来る。
とにかく面白さてんこ盛りで、読者は本を読むことの幸せを無条件に感じさせてくれます。笹本さんは海洋から、山岳、砂漠まで多様な情報を駆使していますが、本人のインタ−ピュ−では、私は地図を見ることが趣味で、それをみているうちに大体の地形が頭に浮かんでくるので、特に取材はあまりしないといっています。そして作品のなかでリアリティをだすのに必要な情報は事実の羅列ではなくイマジネ−シヨンだと思っていますから、私達読者がそれを読みながら、その場所の匂いだとか、その街の空気が感じられればいいと思っていますともいっています。
私も何十年も読書した経験でいけば、作者の書きたいことがストレ−トに私へのイマジネ−シヨンとして伝わってくればいいというのは賛成です。笹本さんの作品は、やはり一気に読まないといけない小説ですので、1日以上の休みが取れる休暇を使って読んでいます。笹本さんの作品は20冊以上あり、最近のものでは流行の刑事物も書かれておられますので、他の警察小説家とはひと味違う笹本さんなりののものと聞いていますので、楽しみにしています。
ちよっと旅に出て、ビ−ル片手に本でも読もうかなと思われたなら、海外のロバ−ト・ラドラムの翻訳本の堅さがいやなら、笹元さんの本をリックサックにいれてください。楽しみが倍返しになります。

糖尿病はごはんよりステ−キを食べなさい

テ−マ−は講談社+&新書に収められている牧田さんの署名と同じである、これを基準にして同病の人に私の2年余の治療経験を書いて、牧田さんの書かれた指針がいかに効果的かを検証してみたい。こと糖尿病に関しては《知る》と《知らない》で人生のクオリテイに非常に大きな差が生まれる。あなたはラッキな人だ。なぜラッキかといえば本書に出会えたからであると牧田さんはまずたんかを切る。
私の父は69歳の8月も終わりの日曜日に狭心症で亡くなったが、糖尿病との合併症で、母からその何年か前に男子トイレの流れる所にキラキラと光るものがあるといっていたし、朝の食事も野菜中心でしたから、本人も自覚があったかと思う。しかし大陸育ちですから、お酒はメッボウ強くて、その日もホテルの役員会でしこたま飲んで、夜中に発病したと聞いている。私も糖尿病が遺伝することは知っていたが、60代の半ばを過ぎてからの健康診断で発見された。
まずたばこであるが、2年前の3月に、頭部MRI検査(核磁気共鳴画像検査装置)を受けて、その結果説明の時、担当医から少しでも長生きしたいならやめなさいといわれたので、3月29日に唐突に止めてしまいました。若いときから何十年も続けた習慣ですから多少はつらく、ニコチンガムなどのお世話になりましたが、その意志はぶれませんでした。まあ、それと人生も最終コ−スにはいり、やるべき責任もそれなりに果たしてきたものとして、遠慮したり、辞退する、不便を甘んじて受けることなどはあまりたいした事ではないと考えました。『炭水化物は摂取後15分以内に血糖値を押し上げ、2時間以内にブドウ糖に変化して吸収される。蛋白質か脂肪はまったく血糖値を上げない』ということは、全てに対するカロリ−制限を糖尿病治療の柱にせず、炭水化物にしぼるべきと著者は語ります。従って私の食生活は、炭水化物をとらない食事内容で、特に夜は大皿一杯の生野菜がメインで、後は小鉢で蛋白質をとってご飯類、麺類は一切とりません。自分でWeb上で会社の近くにある糖尿病の専門医を探し、そこに1年以上も通院していてその意味では私の主治医です。運動も早朝に30分以上のウオ−キングを16ケ月以上毎日おこなっており、現在のヘモグロビンAICは6.5です。アルコ−ルについては、牧田先生は、ビ−ルは基本的にはよくありませんが、缶ビ−ル1本程度とし、血糖値をあげない焼酎、ウィスキ−などの蒸留酒にしなさいということで禁止ではありません。
この本は日本人は何故膵臓が弱いのかから始まり、糖尿病で一番怖いのは合併症であり、その合併症の犯人であるAGE(週末糖化産物)について詳しく書いてあります。そして糖尿病はまったく新しいタイプの慢性病であり、一生つきあっていかなければならない病気であり、へこむことなく、油断することなく、沈着冷静に渡り合えれば、合併症にいく前で止まる事が出ると断言されています。同病のみなさん、みなさんの口コミが重要です。どのような食べ物がいいか、こんな事があると発信して、楽しんでこの病気と付き合いましよう。

満州の母の覚悟

母が満州から持ち帰った日誌が残っている。父と一緒に行った満州での母としての覚悟がしっかりと書いてある。
『延吉、ハルピンそして3人の母となった現在、例えこれで私の生涯が終わったとしても、私は本当に幸福でした。只一つ心残りは内地で小さい時から育て上げてくれたお父様、お母様に、睦子はこんなにも遠く嫁いで参りました。さうして又結婚式から、一度もこんな幸福な結婚生活をお目に描けることもなく死んでしまうことに、満たされない気持ちがあります。睦子が本当に幸福でしたと伝えられないことです。お前と結婚したとき、兄さんに「兄一人の妹です。幸福にしてやってください」と俺は頼まれたから、決して不幸にしょうと思って、満州に連れてきたわけではない。俺はお前にすまないと思っていると主人は涙くんでいる・そんことはありません。例えここで一生涯が終わっても、私は何も心残りはありません。一緒に死ねないのが寂しいですけれど私も一度嫁に出された以上は軍人の妻、決して女々しくは致しません。どうぞ安心してお出かけになってください****(中略)
召集の知らせがあるのに、主人はなかなか帰って見えない。昨日お仕事はみんなかたづけてきたので、ゆっくりしていらっしやるのではないかと思いつつも早く帰って欲しいと思い電話する。主人が帰宅。明日1時に**部隊に征かなければならないとのこと、主人はお別れのマッカワリの酒をのみながら、もし疎開する人がいたらむやみに、命をすてるのはよいことではないのだから、逃げられる所まで逃げてくれるようにといい、そしてもし内地に帰れたら、お父様に元気にロシアにいきましたよと伝えてくれとのこと。日本人として恥ずかしい様なことをさせられたら、死んでくれという。5歳になる私と、弟二人をだきしめ、『かわいそうに先のある子どもを殺してしまわなければならないのかなあ、許してくれ、許してくれ、お前達に、俺は何といってあやまっていいのかわからない』と抱きしめたは泣き、抱きしめては泣く父の姿****(中略)「主人から預かってピストルが守り神のように、枕元にある。でもこれは私と子ども3人にとっては、とっても心が落ち着く」というドキリとした文面もあり、父が部隊に出かけた後、疎開の練習もしている。『三男を前に抱っこし、後ろにリックサックをせおって歩く練習をする。果たして何処まで生きていけるものかちりぢりに乱れる気持ちををさえて日誌は続く。父は**部隊召集されたが、すぐロシアにいった訳ではなさそうだ。
『今日は14日、正午にラジオで重大な発表があるから、ラジオのスィッチを切らないようにと伝言があり、12時にラジオをいれると天皇の声、聞いている内に涙はとどめなく、頬をつたって流れ、戦争に負けた、日本国始まって以来の敗戦だ、そして主人はどうしているのかなと思う』と戦争終結の瞬間を書いている。そして母はロシアにいかず帰ってきた父と、大連まで満州の大平原を列車と徒歩で、3人の子どもと一緒に帰ってきました。母のこれほどのエネルギ−はやはり父があたえたものであり、母自身の人生をひたむきに生きる気持ちの強さであろうと思う。
母はこの事を子ども達に残すため書き続けて、そのインクのあせたノ−トをもって帰ってきた。母はどうしてもこれを書き、子どもに読んでもらいたいと思った。よみましたよ!おかあさん。大地主(庄屋)の娘で京都女子大学をでたインテリ女子ですが、旦那さんを信じて満州に渡り、子ども3人を育て引き揚げてきた貴女にただただ頭がさがります。

今宵集まって語らん

《いま、世界の言語で一番ブロブで使われているのは日本語なんです。日本人は書くだけではなく、ブロブを読むことも好きですね》といっている人(週刊SPA・渡部編集長)がいる。
そして、伊藤一彦(歌人)さんは《自己表現が好き、それを読むのも好きという日本人の資質は大切であろうと思う・自分の書いたものを他人がわかっていてくれるという信頼、そして他人の書いたものに抱く関心と共感、書き読むという自己表現のキャッチボ−ルが盛んな社会は健全さを保ち得る》と書いています。
当然書き、読むというなら、しやべることがまず基本で、人は学校から社会に出て働く長い時間の中で、集まってしやべろうとします。私も社会にでて初めて働いた会社で仲間を見つけながら、途中で退職していますが、今回そこの大阪営業所に所属したOBが集まる集いにオブザ−バとして参加する事が出来ました。年齢は70歳前後から、最高齢は85歳まで男女併せて16名、愛知県は蒲郡市に1泊する日程で、私にとっては、逢う人の名前から判断して、何十年振りの出会いとなります。泊まる先は古い和風旅館で、半年前から胡座をかくことが出来ない私にとっては、冷や汗ものの畳の上の立ち振る舞いでした。何れにしろ足を投げ出すか、女の方の様に、足を横にずらして、時々片手で支える必要があります。でもここに集まった先輩、後輩達は、大広間の宴会場で、2時間半ほど過ごすと、別室のカラオケル−ムで11時過ぎまで熱唱していました。皆さんそこそこお年を召していられますから、体のどこかで悲鳴を上げている方もおられるかと思いますが、その後、あまり綺麗ではない畳に4人が枕を中央にそろえて寝るという、若き日の社員旅行そのものでした。生憎の雨で翌朝10時頃に散会となり、蒲郡駅で東西に分かれてしまうと、なぜか寂しい気持になりました。
確かに人生の1時期、同じ場所で働らき同時代を生きて居たわけですから、おしやべりはできても、今の年齢なら、話が過去形で完全燃焼できません。家族の話で不幸があった人もあり、あるいは独身を通した人もいられるかもしれないとなると、家族の話は無難に避けた方がいいでしょう。
それは、人と人とのつきあいは、基本は連続線上で逢った方が望ましいが、断点でお会いするとなると、その前後が分かりませんから、共感や関心がうすらぐ形になってしまいます。この事を、当日いなかった同期生にメ−ルで尋ねると、その節お世話になったという1点だけで、あまり期待はしない方がいいとのことでした。それよりも、彼はそこで逢った貴男に興味があり、今も続くといわれると、基本は個別の問題で、好感度の人とのおしやべりになるように思います。
でも、1年に一度の出会いなら、年賀上の挨拶よりは上等な消息お伺いとなり、参加してもいいかなとも思います。

【鶴瓶の家族に乾杯】讃歌

鶴瓶の『家族』をテーマにして、ゲストと共にいずれかの地にを旅人として訪れ、そこに住んでいる家族を求めてぶっつけ本番の旅番組が毎週月曜日に放映されている。声そのものが女性の高温部に近く透き通った懐かしい響きで『さだまさし』が歌うテーマソング「バースディ」が流れてきます。
幸せありがとう、ぬくもりが届きました。生きていてよかった。誰かわたしの生まれた日のこと、覚えていてくれる。独りきりではないこと、とても勇気が湧いてきます。たくさんのさだまさしさんの作詞の中で、これほど自分が生まれたことと周囲の家族をいとしむ詩として秀逸だし、番組のテーマ音楽としてもふさわしい。
5月31日の収録分は、現在朝の連ドラ【ゲゲゲの女房】でマンガ家水木しげる氏を演じている向井理(おさむ)くんがゲスト、舞台はゲゲゲの女房布美枝(本名武良布枝)さんの故郷である島根県安来市で、放映されているドラマの登場人物が現存していられます。わたしも、安来の隣にある松江市に育ったものですから、この市の民謡である安来節と切っても切れない『ドジョウ掬い』は、いつも祭りの時に聴き、見ていたので、自分の中に土着した民謡の源体験といえます。ゲゲゲの女房』は、この手の連ドラを見ない人も病みつきになるほど、ネガテブな批判がみられない久し振りに好感度で、ヒットした連続ドラマです。ここで水木しげる氏を演じる向井さんが安来市に来たものすから、地元の人の反応、盛り上がりが凄いことになります。この番組はちょいと類のない絶妙なコミニケータである鶴瓶の軽妙洒脱なおしやべりとゲストのぶっつけ本番が生命であり、初めは二人ですが、番組の後半は一人ずつになりますから、ゲストの人間的な魅力が吐出していないと番組が成功しません。今回の安来の旅は、この若く、無限の才能を感じさせる向井くんが、安来市の中にすいっと入っていくのは、以前 収録された上野樹里さんが《のだめのふるさと大川町》を訪れた時に感じたものと同質でした。この才能豊かな娘さんも、何処まで演技なのか、自然な自分の感受性の対応なのか分からない位、ぶっつけ本番でその等身大の自分をみせてくれます。そしてこの番組のすばらしい所は、此処に出て来る高校生までの子供達の純で、素直で、暖かい、すてきな子供達が登場してくれます。それは冒頭の【生きていてよかった】につながっていきます。又、この番組の中の向井くんが物事をひとつづつ確かめ、判断して楽しみながら前に進む普通の青年でしたが、しかしそこからほとばしる才能は伝わってきますので、その開花を期待して見守っていきたいと思います。